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日本語の曖昧さから見る日本人の国民性

はじめに

 

 日本語を学習し始めるときからよく「日本語はとても曖昧である」という話を聞かされる。『広辞苑(第5版)』[i]にて「曖昧」の意味を調べると、「確かでないこと。まぎらわしく、はっきりしないこと。」とある。すなわち不明確、不明瞭なもの・ことを指すと考えられる。日本語の学習では日本語の曖昧なところや、同じ単語でもまったく正反対の意味になったりすることがよくある。

日本語に曖昧さがあるのは、日本人の相手に対する思いやりであるという説もあるが、日本人はできるだけ自分の考えを表したくない、旗色を鮮明にしたくない、それはリスクを増やすだけでチャンスを招くことにはならない、だから引き合わない、でも生きていくためには一応最低限の意志疎通はしなければならない。人々がそう感じ始めた辺りから、要するに何を言いたいのかよく解らない、話し手には責任がなく、伝えるべき意味を聞き手の自己責任で解釈させることを目的とする話法が台頭し始めたのではないだろうかと思っている。それで、日本語は曖昧であるからよくないとか、劣っているとかといった考えになってしまったのでは、正しい日本語の勉強はできないと思う。曖昧さや婉曲を好むという日本人の性向が日本人の根本に根ざしているものだとよく理解しなければいけないと思う。

本論では先行研究を踏まえながら、まず日常会話の類や文法的な面などから曖昧語の言語表現について分析する。それから、日本語の曖昧さをを通して、日本人の言語習慣と心理を述べる。最後に、どのように曖昧語を理解するかを説明しようという試みである。

 

1. 曖昧語の言語表現

 

周知のように、民族性や文化面での影響で、日本語表現は「曖昧」であるということがよく言われる。物事をはっきり言わないで、高度な婉曲表現が発達している言語だと言えるでだろう。

本章では、言語表現上の曖昧さから日本人の曖昧性を見てみることにしよう。

 

1.1 日常会話の類

 

 「日本語は曖昧である」ということがその理由としては、性数の変化がないといった言語的な特徴もあるかもしれないが、言語というものは、そこに使う人がいることでさまざまな特徴が形作られることから、やはり、その言語を使う人々の民族性・国民性、考え方などに起因するところが大きいのではないかと思われる。

以下、日本語の「曖昧」特性と思われるものをいくつかピックアップしてみよう。

●「かもしれない」

「かもしれない」や「かも」は日本人が常用している言葉の一つである、西欧諸国のビジネスマンの間では日本人のことを「maybe」民族と呼んでいるといわれているほどだ。最近、そのような傾向がいっそう強まる気配を呈しており、話し手本人の感触などをあらわすような場合でも使われるようになっている。例えば、何かを食べたときに、「これ、おいしいかも」。好きだと思うものに対して、「好きかも」。行きたいと思っていても「行きたいかも」と言っている。

日本人の会話では相手と自分の意見が違う場合、たとえそれが正反対であっても、あえて「そうじゃない」や「私はそう思わない」などと言わないで、「そうかもしれない」と、一応、相手を認める形で、「妥協的に」譲歩するような言い方をすることがある。

 

●「何もございませんが」

日本人はお客を招くときに、大変豪華な料理がたくさん用意されていて、よく「何もございませんが、どうぞ召し上げってください」と言うことがある。もしその客が外国人だったら、戸惑った表情になったのではないだろう。

 

これは日本人の謙譲表現である。「何もございませんが」[ii]文字通り「(食べ物が)何もない」わけではなくて、「(あなたにとってごちそうと言えるような物は)何もない」という意味である。同様の発想により「お口に合うかどうか、分かりませんが」とか、「ほんのお口汚しですが」あるいは「粗茶ですが」などと言って食べ物やお茶を客に勧めることもある。

 

●「あの件、どうなりました」

あれ、あの、それ、その、といった「こそあど」言葉もよく使われるのが日本語である。「あの件」などと言われると、聞いているほうも「ああ、あの件ね」と、とっさにどの件だったか推測する必要がある。たいていは、相手とのかかわりや状況などで「どれ」とわかる場合が多いのだが、たまに、まったく違う話をしていたということもある。また、「大阪人のノリとかいうあれですか」とか、「何度も使えてお得だというあれですね」という場合の「あれ」もある。こうなってくると、日本人というのは本当にはっきり言いたくない国民なのか、それとも、ふと適切な言葉が見つからなくなるのか、聞き手に推測してくれることを期待する「甘え」というものが感じられるのである。
1.2 言外の意味の類

 

 日本の社会は建前と本音がある。「建前」は、「原則として」とか、「表向きには」と言う意味である。「本音」というのはその人の本当の気持ちである。日本人社会は人間関係を優先し、「和」を大切する。この和を保つためには、私的な感情を表面に出さず、原則である「建前」でコミュニケーションすることが必要になるわけである。

 

例えば外国人は片言の日本語をしゃべると、すぐに「お上手ですね」と褒めることがある。そこでは、日本人の心理には次の二つの意識が隠されていると考えられる。一つは、「外国人は日本人とは違う特別な存在で、その外国人が日本語を話すのは大変珍しい」という、対等な扱いをしていない意識だ。もう一つは、日本語は世界の言語の中で難しい言語だから外国人がうまく話せるわけはないという誤った認識による意識だ。これらの二つとも、異文化の人を特別視する意識に根ざしているから、言われる方は、その隠された意識を敏感に感じ取る。

 

日本人同士では、相手を傷つけずにうまく断る方法がよく用いられる。例えば、人に「映画がんを見に行きませんか」と誘われた時、「行きたいですけど、今日はちょっと」と言えば、この場合は「せっかく誘っていただいたのだし、行きたい気持ちはあるのですが、残念なことに別の予定が入ってしまいました。本当に申し分けないのですが、今回はいけません」などといった言外の意味が含まれていることが相手伝わる。

 

また、日本人は人に会うと「どこまでお出かけ」「ちょっとそこまで」というのもよくある。「ちょっとそこまで」では、答えになっていないわけであるが、この場合、質問したほうも具体的な目的地を聞いているわけではなさそうである。ご近所として、遠くまで行くのか、近くですぐ帰ってくるのか、あるいは、何か緊急な用事ができて、近所として手伝うなどの必要があるのかどうかを確認しているだけだと言える。だから、「ちょっとそこまで」と言われれば安心して「あ、そうですか」となるわけである。

 

日本語にも文法書などに記述されていない言語外の約束事がいろいろある。それが日本語の言語生活を支配し、日本語の語法に微妙に跳ね返る言語習慣である。それについて、部外者には当然のことだと思い、特に気に留められることが少ないが、部外者にとって不可解で気になるものが多い。ここでは言外の意味の類をみてみれば、日本人の言語習慣の一端を考察してみることにする。日本語の言語文化はよく」「察しの文化」「思いやりの文化」といわれる。日本語がしゃべるとき、相手の気持ちに対する配慮や遠慮を伝えることを重視する。日本人はずばりと言うことを避けていろいろな意見を発表する。それも日本人の交際文化の一種である。言語は文化を反映する「鏡」である。単語や文法を覚えるとともに、その深層にある思想や意識も探求するべきだ。

1.3 多義語の類

 

多義語であるがゆえに、日本人独特な語感、つまり、さまざまな意味を一つの語句で表現したがために、外国人には曖昧だなという印象を与えてしまったのであろう。

「日本人はどういう時に、どのような意味で、「どうも」を使っているのか、さっぱりわからない」という学習者がいる。このような感想を抱いている外国人は少なくないと思われる。「どうも」は万能用語ということもある。軽い謝罪や感謝、ひいては、挨拶などにも使える便利な言葉である。「どうもだめだな」「「先日はどうも」「先ほどはどうも」「どうもありがとう」「どうもすみません」「これはどうも」「どうも、どうも、ご面倒をおかけしました」等のように、日本人は「どうも」を連発する。三省堂から出版された「大辞林」[iii]で、「どうも」について調べてみると、次のように出てくる。

どうも:

(副)

(1(多く打ち消しの語を伴って)できるだけやってみても。いろいろ努力しても。

(2)原因・理由が判然としない意を表す。はっきりしないが、なんとなく。どうやら。

(3)軽い驚きや困惑の気持ちを表す。何とも。いやはや。

(4)感謝や謝罪の気持ちを表す挨拶の語に添えて、その意を強調する。後半を略して感動詞的にも用い、また、くだけた挨拶語としても用いる。

同様に、「すみません」も謝る場合、感謝を表す場合のどちらにも使える。引越しの手伝いをしに来てくれた会社や学校の人に、奥さんが「お疲れのところを、お手伝いをお願いして申しわけありません」と言ったり、快く頼みごとを引き受けてくれた先輩に、後輩が「すみません、お忙しいところを」と言ったりするような言葉がよく日本人の会話に出てきる。自分のために相手がやってくれたことなのに、「ありがとう」などの感謝の言葉ではなく、なぜお詫びの言葉が使われているのか。これは日本語の「すみません」という言葉が、相手に対する申し訳なさを表すだけでなく、「ありがとう」という感謝の気持ちも表すだから。このような場合、相手が自分のために余分な時間を費やすことに対する感謝の気持ちを表すのである。

 

これに似たような言葉や表現が日本語に数多く存在している。例えば、「くやしい」という言葉には、「試合に負けてくやしい」「彼はやりたいことはやった。くやしい死ではない。」「もっと気をつければよかったと思うと、くやしい」などの用例ができる。

日本語には類似の表現はありすぎて、枚挙にいとまがないぐらいである。これで曖昧といわれてもわからないような気がする。

1.4 婉曲法の類

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